フランス語人材のキャリアパス~第7回中津匡哉さん(関西の某大学常勤講師:歴史学博士)~

こんにちは!
フランスまとめサイト管理人の伊藤圭(@Kei_japonais)です。

フランス語を使って仕事をしている人たちにインタビューをして、フランス語の仕事に就くまでの経緯や、フランス語の勉強方などのエッセンスを聞いちゃおうというフランス語人材のキャリアパス!

第7回目となる今回は、関西の某有名大学でフランス語の常勤講師をされていらっしゃる中津匡哉(なかつまさや)さんへのインタビューです。

匡哉さんのご経歴
・神戸大学 国際文化学部卒業 国際文化学士取得
・ナント大学 歴史学部 歴史学修士号取得
・パリ第七大学 東アジア文明研究センター 歴史学博士号取得

修士課程時に既にナント大学応用外国語学部にて日本語の授業を受け持つ非常勤講師として勤務し、その後はグランゼコールであるオデンシア・ナント経営大学院においても日本語の非常勤講師を経験。
帰国語は、関西を中心に複数の大学で社会科学・歴史学・フランス語の非常勤講師を務められ、現在は某関西の有名大学に常勤講師として勤務し、フランス語の授業を受け持っている。
映画『ラストサムライ』のモデルとなった人物として有名なジュール・ブリュネをはじめとする「フランス軍事顧問団」の専門家であり、歴史秘話ヒストリア「サムライとフランス軍人 幕末ラストミッション」にコメンテーターとして出演。

この記事を読むと、こんなことが分かります。

この記事を読むと分かること
1. 大学で講師として働くためのキャリアパスが分かる。
2. 大学でフランス語を教えている講師のこれまでのフランス語の勉強方法が分かる。
3. フランスの大学院の授業形式・論文提出のタイミングが分かる
4. 大学にて講師として働くために必要な能力が分かる。
5. 大学にて研究者として研究活動を行うために必要な能力が分かる。

初めての方向けに筆者の自己紹介。

管理人はフランス語と英語を使って仕事をしています
・社員数約480人のインバウンド専門旅行会社に勤務。
・大手旅行会社のグループ会社の一つ。
・取引国はほぼ全世界。
・2013年11月に転職で入社。
・海外営業部のヨーロッパを担当する課に所属し、7年以上フランス語と英語を使って仕事をしている。
・総合旅行業務取扱管理者という旅行に関する国家資格も一応持ってる。

1. 匡哉さんとフランス語との出会い~きっかけはサッカーワールドカップ~

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匡哉さんとフランス語の出会いは、匡哉さんが大学1年生の時でした。

匡哉さんは1999年に神戸大学国際文化学部に入学。
1年生の頃は第二外国語が必修であり、フランス語・ドイツ語・ロシア語・中国語という選択肢の中から、匡哉さんはフランス語を学ぶことにしました。

理由は単純。

匡哉さん:「98年サッカーワールドカップで、フランスが優勝したから!」

実は匡哉さんはサッカーが大好きで、高校生の頃までサッカー少年。
大学入学の前年である98年サッカーワールドカップでの優勝国はフランスであり、なんとなく匡哉さんにとってフランスという国は好印象でした。
その影響もあり、フランス語を選択されたそうです。

今はフランス語を使って仕事をするレベルに至っているのに、フランス語を選んだ理由がまさか「サッカーワールドカップでフランスが優勝したから」とは驚きです。
これでドイツが優勝していたら、匡哉さんの運命はまた変わっていたかも知れませんね。

2年生の前期は引き続き第二外国語は必修だったのですが、後期からは必修ではなく選択制になります。

匡哉さんは、全くフランス語を嫌いなったわけではなかったのですが、フランス語の先生とあまりウマが合わず。このタイミングで一度フランス語の勉強を辞めてしまったそうです。

2. 最初のフランス留学~日々全身でフランス語を学ぶ~

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2年生の後期にやってフランス語の勉強を辞めてしまった匡哉さんですが、3年生になると同時に休学をして、1年間リヨンに私費で語学留学に行かれます。

「フランス語の勉強を辞めていたのに、なぜ?」

匡哉さんが所属していた学部は国際文化学部ということもあり、海外や外国語に関心のある学生が多く、周りはほとんど「留学に行く」という気持ちを持っており、実際に海外留学をされていた方も多かったそうです。

その影響を受けて、匡哉さんも「留学に行きたい!」と思うようになりました。

ただし、「留学先は、英語圏は以外が良い!」とも思ったそうです。

匡哉さん:「英語圏は、みんな行くから嫌やったんよ(笑)」

というわけで、「英語圏以外となれば、折角フランス語を第二外国語でやっていたし、フランスに行こう!」となり、留学エージェントなどは利用せず、ご自身で『成功する留学 フランス留学』という留学情報誌を読んで、リヨンに行くことに決めます。

                 

ちなみに、留学先をリヨンに決めたのも面白くて、僕が「どうしてパリとかにしなかったんですか?」と聞いたら、

匡哉さん:「パリってフランスで一番大きい街だから嫌やってん(笑)。でも、小さすぎる街も微妙だから、2番目に大きいリヨンにしたんよ」

との回答。
学生の頃から我が道を行く姿勢を持たれていたことが伝わってきますよね。

リヨン到着後、最初の6ヶ月間は民間経営の語学学校、後期はリヨン第二大学の語学コースに通われます。

最初はもう苦労の連続。
神戸大学の提携校に交換留学生として留学をしていた匡哉さんの友人達は、当たり前のことですが留学開始時から寮などが決まっていて、交換留学生向けにオリエンテーションに参加すれば、ある程度大学の授業の全貌も見えてきます。

ただし、匡哉さんは違いました。
提携校でも何でも無い学校に私費で留学し、さらに留学エージェントなども通さなかったため、リヨン到着後はホテル住まいをしながら、辿々しいフランス語を駆使して不動産屋さんで住む家を探し、学校を決めるなどして、何も分からない中で生活の基盤を作らねばなりませんでした。

匡哉さん:「今考えればむちゃくちゃだったけど、でもこの時の経験は後々すごく役に立った。どうにかしてフランス人とコミュニケーションを取る方法を学んだし、何よりも度胸がついたよ」

最初の語学学校のクラス分けでは、下から2番目くらいのクラスだった匡哉さん。
フランス語で実生活を送らなければならないのに、分からない単語が多すぎて、どこに行くにも携帯辞書を手放せなかったそうです。

しかしながら、「授業で学んだことを、すぐさま実生活で使わないと生きていけなかった」という状況であったが故に、授業(インプット)→実生活(アウトプット)→自習(インプット)→授業・・・という好循環が生まれ、ぐんぐんとフランス語能力が伸びていきました。

6ヶ月後にリヨン第二大学に入る頃には、中・上級のクラスに入ることができ、そこには最初の語学学校の時よりも生徒のレベルも高かった。
授業と実生活に加えて、そのようなレベルの高い人たちと授業内外でやり取りをすることで、さらに語学力を伸ばすことが出来たそうです。

このように、メキメキとフランス語能力を伸ばしていった匡哉さんがですが、ここでもサッカーを通じて、爆発的にフランス語能力を伸ばすこととなります。

匡哉さんがリヨンに留学をしていたのは2001年4月~2002年3月の1年間。
実は2001年はリヨンのサッカーチーム(オランピック・リヨネ)の黄金期の先駆けで有り、ヨーロッパチャンピオンズリーグの出場を果たすなど、まさにリヨンのサッカー界が盛り上がっていた時でした。

サッカーを見ることも大好きだった匡哉さんは、現地の友達と毎試合欠かさずオランピック・リヨネの試合を見に行きます。

席は毎回、一番安い席。
この席の周りには、飲んだくれのフランス人のおっさんだらけ。

毎回のように、スラングが混じった罵詈雑言が飛び交う。
匡哉さんは、毎回聞くその罵詈雑言が一体なんという意味なのか、どうしても知りたい。

というわけで、匡哉さんはそのおっさんたちの「暴言」を、意味は分からないものの、完全に耳コピしては、「ねぇねぇ。これ、なんて言ってるの?」と、フランス人の友達にその「暴言」を完全再現して伝えては、意味を教えてもらうということを繰り返しました。

この「自主トレ」が功を奏し、匡哉さんのフランス語能力はさらに爆発的に成長します。
具体的には、リスニング力と語彙力が本当に伸びたそうです。

匡哉さん:「授業のキレイなフランス語と違い、ちゃんとした発音とかではないフランス語。それを知ろうと思って試みたことが一番効果があったと思う」

すごく独特な勉強方法ですよね。

でも、匡哉さんはとても楽しんでフランス語を学ばれていた。
その点が、本当に素晴らしいなと思います。

勉強って、やっぱり大変な作業ですし、やる気が出ないときもあります。
だからこそ、「楽しんでやる工夫」をすることはとても大切です。

匡哉さんは、そのような工夫を自然を取り入れていました。
この点は、皆さんにとってもとても参考になるのではないかと思います。

3. リヨン留学からの帰国。卒業。そしてナントの大学院へ~歴史学との出会い~

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リヨン留学からの帰国語、3年生から神戸大学に復帰。
この時、後に匡哉さんのご専門となる、「歴史」のゼミに入られます。

ちなみにゼミの教授は、江戸後期から幕末くらいの日本における蘭学の研究者であり、ご専門は恐らくシーボルトだったとのこと。

「歴史」ゼミに入った理由は、そもそも匡哉さんが歴史が好きだった事に加えて、先生の人柄がとっても良かったこと。

「教室の中ではなく、日常の些細なことにも興味を持って、色々なところから学ぼう」という先生の
知的好奇心をくすぐるような姿勢が、とても好きだったそうです。

ゼミで歴史学にどっぷりはまった匡哉さんは、卒業論文のテーマとして「神戸港の歴史」を選択されます。

実は神戸港の設計者はイギリス人であり、「当時の日本において、そのイギリス人がどのように神戸港を設計していったのか」ということについて論文を執筆されたそうです。

このテーマを選んだ理由は、「自分も外国人としてフランスで生活をした経験がある。なので、外国人として、日本で活躍をした外国人について、ゼミで歴史学を学ぶ中でもっと知りたいと思ったから」でした。

匡哉さん:「自身もフランスで色々な苦労があったし、当時日本にいた外国人の方々にもきっと苦労があった。なんだかそこに、親近感を覚えたんだよね。」

4. ナントの大学院に進学~寮の保証人探しに苦労~

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神戸大学をご卒業後、匡哉さんはフランス・ナント大学歴史学部の修士課程に進学されます。

当時はまだ研究者になることは考えてはいらっしゃらなかったそうですが、匡哉さんが大学を卒業された時は就職氷河期であり、同級生たちが就職活動でとても大変そうだったことに加えて、とにかく「あのリヨン留学の時の面白かった経験をもう一度体験したい。またフランスに行きたい!」と思ったことが、修士課程進学のきっかけだったそうです。

進学先をナント大学に決めた理由は、「ナント大学の他にも、リヨン第二大学やストラスブールの大学にも色々と願書を提出して、最終的に拾ってくれたのがナント大学だったから」というものでした。

大学院も、語学学校の時と同様に留学エージェントは通さず、それぞれの大学のホームページを見て決めました。
ちなみに、応募時の必要書類のフランス語能力を証明する書類として、匡哉さんはTCFを受験の上、提出をされたそうです。

ナントに行くのは初めてでしたが、「フランス滞在は2回目だし、フランス語もある程度出来るし、なんとかなるでしょう!」と思って、授業開始2週間前にナント入りをされたそうですが、なんと中々住居が見つからない。

結局節約を兼ねてユースホステルに泊まりながら、授業開始直前にギリギリ学生寮が見つかったものの、民間経営の学生寮だったため、保証人が必要。
リヨン時代の友人に頼みこんで、なんとか友人のご両親に保証人になってもらうことで、ピンチを切り抜けられたそうです。

留学エージェントや所属大学の窓口に問い合わせて寮を探すと、この辺りの苦労がなさそうですね。

5. 大学院の授業は基本的にゼミ形式~とにかく体当たりで授業に臨む~

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大学院での授業は、基本的に先生と学生が少人数で議論をするゼミ形式であり、大教室など先生が黒板を使って講義するような授業はほとんどありませんでした。

匡哉さん:「語学学校を出て程度の語学力では、専門的な議論をすることは正直きつかった」

毎回毎回、授業の度に予習・復習をして、授業中は苦労しながら議論に参加。
それを繰り返すことで、地道にフランス語能力を伸ばしていかれたそうです。

また、英語の授業も必須であり、フランス語で英語を学ばなければならなかったことについて、とても苦労されたということでした。

6. フランスの大学院は修士課程1年目・2年目終了時に論文がある~4年かかって修了~

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それに加えて、フランスの大学院では修士1年目・2年目の終わりにそれぞれ論文を書かなければならず、この論文が本当に大変だったとのこと。

1年目の修了時には、フランス語で200ページほどの論文を執筆。
テーマは「幕末から明治時代にかけて、フランスから日本に入ってきた科学技術(例:横須賀造船所や生野銀山の掘削技術など)」でした。

2年目の終了時には、フランス語で100ページほどの論文を執筆。
この時、既に博士課程に進まれることを考えていた匡哉さんは、「博士論文執筆にあたっての準備の位置づけ」ということで、「幕末から明治の初期に日本にどんなフランス人技術者がいたのか」をテーマとして設定されます。

これは後の博士課程及び現在のご専門となる、「フランス軍事顧問団」につながるテーマとなったそうです。

ちなみに、「フランス軍事顧問団」とは、江戸幕府が西洋式の陸軍を編成するにあたって技術指導にあたったフランスからの顧問団のことを指します。あのトム・クールズ主演の映画『ラストサムライ』の戻るになったジュール・ブリュネ(Jules Brunet)が所属していた一団であり、戊辰戦争において江戸幕府が明治新政府軍に敗北した後も、函館戦争時には榎本武揚率いる旧幕府軍側として従軍しました。

匡哉さんはこの論文執筆に本当に苦労し、最初の修士1年目は2年という歳月をかけて修了させることとなります。

さらに修士2年目の時には、「講師の経験を積む」という観点と「生活費を稼ぐ」という観点から、大学院生でありながら、ナント大学日本語学科とグランゼコールであるオデンシア・ナント経営大学院にて、様々なご縁から日本語講師として授業を受け持つこととなりました。

ただで大変な論文に加えて、レベルの高い通常の授業+日本語講師の仕事というトリプルパンチにより、匡哉さんは修士2年も2年かけて修了。

結局2年間の修士課程を修了させるのに、4年を歳月を費やすこととなりました。

7. 日本語講師の経験~授業を受け持つという初めての体験~

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匡哉さんがナント大学とオデンシア・ナント経営大学院にて日本語講師の仕事をされることとなった経緯は、前任の日本人日本語講師の方とたまたま知り合いで、その方が帰国するに当たって、講師のお仕事を紹介してもらえたというものでした。

上記の研究機関においては、日本語の先生をやるための条件は「修士1年目を修了していること」の1点のみ。
日本語学科を卒業している必要も無ければ、日本語を教えるための教育資格なども必要なかったそうです。

ですが、「人にものを教える」わけですから、当然に教える側はそれに相応しい知識を身につけなければなりません。

というわけで、匡哉さんはフランスにある日本語を学ぶための様々な教材を読んで、日本語の教え方を独学で学ぶこととなります。

匡哉さん:『「日本語のこの文法事項って、フランス語でどういうんやろ?」とか、「~は」と「~が」などの助詞も、日本人なら当たり前のように使っているけれど、これを何も日本語が分からない学生達にどのように分かり安く且つ論理的且つフランス語で教えるかについては、ほんま悩みまくったよ」』

この時は非常に苦労をされましたが、「学生に分かり安く講義をするためには、どうすれば良いのか」と悩みに悩み抜いた経験は、今の仕事にすごく生きており、後々すごく良い経験になったそうです。

8. パリ第七大学の博士課程へ~ナントとパリを往復する日々~

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ナント大学での修士課程修了後、匡哉さんはパリ第七大学の博士課程に進学。
この頃から、匡哉さんは研究テーマを「フランス軍事顧問団」とし、パリ第七大学の他、フランス国立科学研究所(CNRS)、フランス国立高等研究院 (EPHE)、コレージュ・ド・フランスという四つの研究機関によって構成されている「東アジア文明研究センター(CRCAO, Centre de recherches sur les civilisations de l’Asie orientale)」にて研究活動に励まれました。

パリの大学に籍はおいていたものの、ナントでは相変わらず日本語講師の仕事があったため、住まいはナント。
この時から、パリとナントの往復生活が始まります。

パリ滞在中は旅費の節約のため友人の家に泊まらせてもらい、デジカメで様々な史料を写真データに収めては、そのデータファイルをナントの自宅に持ち帰り、そして文字起こしをし、その後にやっと研究活動に入るという日々を送られていたそうです。

そうまでして、匡哉さんはなぜ博士課程に進もうと思ったのか。
「今思えば、こんな事を考えていたな」ということを、2つ教えて下さいました。

匡哉さん:「やるなら、もうとことんやろうと思ったんよね。それから、働くなら、海外の研究機関より、やっぱり日本の研究機関がええなと思って。そうなると、もうドクターが必要やって」

匡哉さん:『もう一つは、自分が会社で働くイメージがわかんくて。日本におったら、周りの同級生はもう皆会社で働いとるし、そういう環境におったら自分も会社で働こうと思ったかもしれん。けど、当時自分の周りの仲良かった人は、みんな博士課程に進んどって。せやから、確固たる信念があって博士に進んだのかと聞かれたら、100%そうとは言えんかも。ただ、やっぱり研究を続ける中で、面白い史料が見つかると、もうドンドン続けたくなっていく。歴史学を研究する身として、「過去にこんなに面白い人がおったのに、全然人々に知られてない」みたいな発見をすると、「これは世の中の人に知ってもらわんとあかん!」みたいな想いは当然あるけどね。』

最後のセリフ、しびれますよね。

9. 「フランス軍事顧問団」というテーマに行き着いた理由~日本歴史学の新しいアプローチ~

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匡哉さんはどのようにして「明治期のフランス軍事顧問団」というテーマに辿り着いたのでしょうか?

まず理由に一つに、「この分野を研究している人がほとんどいなかった」ということが挙げられます。

博士課程終了時に執筆する博士論文は、学術的な新しい発見をすることで、世の中に貢献するということが求められています。
そのため、多くの人によって研究をし尽くされている分野よりも、当然のことながらまだあまり研究をされていないテーマの方が、新しい価値を提案しやすくなります。

もう一つは、匡哉さんの日本の歴史学への問題意識です。

匡哉さんはフランスと日本の双方の一次資料を用いて研究をされているものの、そのご所属は「日本の歴史学会」になります。

そして、日本の歴史学会は研究対象分野が「日本」ということもあり、英語以外の外国語に強い研究者があまり居ないことに加えて、基本的に日本側に残っている史料ばかりを論拠として研究をしている方々が多かったそうです。
※匡哉さん曰く、「現在は流れが変わりつつある」とのこと。

ただ、日本側に残された史料ばかりを論拠としてしまっては、物事を分析する際にどうしても偏りが生じてしまいます。

そうではなく、「日本の歴史学」ではあっても、折角外国に史料が残っているのだから、外国の視点からも日本の歴史を分析するべき。
「外国と日本の双方の視点があってこそ、真の歴史研究活動と言えるのではないか」という問題意識を匡哉さんは持たれていたため、日本の歴史学の分野において不足がちだった「外国の視点」を取り入れるべく、フランスが関係するテーマを選択されたそうです。

10. 匡哉さんにとってのジュール・ブリュネ~実は行き当たりばったりの人~

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匡哉さんとジュール・ブリュネの出会いは、「パリの防衛省の史料をほじくっていたら、偶然ジュール・ブリュネに関する資料を見つけた」というものでした。

匡哉さん:『彼を題材にした映画である「ラストサムライ」を筆頭に、文学・ドラマではかなり取り上げられてきた外国人なんやけど、「本当にところ、この人ってどんな人やったん」ということはあまり知られてなくて。そんで、そんな「面白そうな人」が残した資料がパリにあるんよ。
やったら、それを使って、何か面白いことが出来へんかなと。』

ちなみに、匡哉さんに『本当のところ、ジュール・ブリュネってどんな人物だったんですか?やっぱり、映画「ラストサムライ」のように、忠義に厚いというか、武士道というか、そういう物を大切にされている方だったんでしょうか?」と聞いてみたところ、意外な返事が返ってきました。

匡哉さん:『映画のトム・クルーズの役に引っ張られて、フランスで日本武道をやっている人たちを中心に、「こんなすごいフランス人がいたのか!」という感じで、イメージのみがバーンと広がり、いつの間にか「英雄」みたいな人物像が定着した。けど、僕が思うにやけど、そこまで深く考えてる人やなかったと思うよ。なんというか、「なんも考えてない」(笑)。少なくとも彼が残した物を読んでいると、「自分がしたいままに生きて、外国にも来て、戦争に参加して、勝てると思った方に付き、いちフランスの軍人として自国の利益を守るために後先を考えずに行動し、最後は戦争に負けたのにのうのうと生きて祖国へ逃げ帰った」という印象やね。』

11. 関西某大学への就職~講師の実績を着実に積み上げ、公募で合格~

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現在は関西の某有名大学でフランス語の常勤講師をされていらっしゃる匡哉さんは、どのようにして現在の研究機関でのポストを見つけられたのでしょうか。

研究職のポストは、大変の方が下記のサイトを利用するそうです。

JREC-IN Portal(イノベーション創出を担う研究人材のためのキャリア支援ポータルサイト)
https://jrecin.jst.go.jp/seek/SeekTop

帰国直後、早速上記のサイトで大学でのポストを探したが、中々見つからない。
そんな時、大学先輩が「こんな公募があるから、受けてみたら?」と、現在とは異なる某関西の大学の非常勤講師の仕事を教えてくれました。

「せっかく教えてもらえたし、受けて見るか!」と公募に挑戦したところ、見事合格。
最初の仕事はご専門の歴史学の授業であり、フランス語を使った仕事でなかったそうです。

その後、別の大学の非常勤フランス語講師の公募にも合格し、ここから匡哉さんのフランス講師として経歴が始まります。

数年非常勤講師として経験を積まれた後、現在の常勤講師の公募にチャレンジし、結果は合格。
ついに非常勤ではなく、常勤講師のポストを手に入れられました。

匡哉さん:「非常勤講師って、アルバイトみたいなもんなんよ。社会保険とか全部自分で払わんとアカン。やっぱり常勤講師になると、社会保険とかも完備されるようになるから、待遇は講師より良い。せやから、競争も激しいし、講師歴とかがないと中々合格できひんのよ。という意味合いから言うと、僕は今の公募に合格する前に、非常勤講師として勤務していた経験があったからね。それが良い方向に働いたんやと思う」

12. 非常勤講師と常勤講師の給与面の違い~時給制と月給制~

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非常勤講師と常勤講師の給与面の違いは、時給制か月給制かということになるそうです。

匡哉さん:『さっきもちらっと言うたけど、非常勤講師ってアルバイトとほとんど同じなんよ。どういうことかと言うと、給料がコマ制。つまり、「授業を行った回数=お給料」ってこと。せやから、非常勤講師である程度のお給料を稼ごうと思ったら、複数の授業を掛け持ちせえへんとアカンね。その点、常勤講のお給料は月給制。なんで、お給料はこっちの方が安定するね。私学共済(いわゆる厚生年金)や社会保険も完備されてるし、大学によるかもしれんけど、ボーナスもあるから。あっ!あと、非常勤講師は毎年契約更新をしないと仕事ができへんくて、5年連続で雇用契約を結ぶと、その後は更新回数制限がなくなる「無期雇用」という契約形態になることができるんやけど、あまり「無期雇用契約」を結びたがる大学ってないから、基本5回以上の更新はされないことが多いんよ。この点も、非常勤講師の怖いところやね。』

※大学にもよりますが、2つ以上の大学で非常勤講師を行ったり、一つの大学で複数の授業の講師を行った場合は、私学共済・社会保険に加入できることもあるそうです。

13. 常勤講師になるためにはどうすれば良いの?~公募に応募し続けて、ひっかかるまでやる~

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博士号を取得したのち、大学で常勤講師になるためにはどうすれば良いのか、匡哉さんに聞いてみました。

匡哉さん:「もうこれはね、経験を積み重ねて、すたすら合格できるまで公募に応募し続けるしかないね」

博士号を取得するだけでも大変なことなのに、その後にも就職を巡って試練があるとは、研究者というお仕事も相当大変な気がします。

ちなみに、常勤講師として採用されるに当たって評価されるポイントは、匡哉さん曰く以下の4点だそうです。

常勤講師として採用されるにあたって重要となる4つのポイント
1. 執筆した本の冊数及び本への評価
2. 執筆した論文の本数及び論文への評価
3. 学会での発表回数及びその内容
4. 教育歴(授業を受け持った経歴。非常勤講師歴も含む)の長さ

なので、最初のうちは非常勤講師としての経験を積みつつ、同時並行で本や論文の執筆、学会での発表経験などの研究業績を積み上げ、空いた常勤講師のポストを見つけては、応募し続けるということが必要になりそうです。

14. 研究者の役職~助教→講師→准教授→教授~

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また、匡哉さんに研究者の「役職」についても聞いてみました。
研究者には、以下の役職があるようです。

1. 助教(じょきょう)
※准教授や教授などの研究室で彼らの研究をサポートしながら自身の研究を続けるアシスタントとのような役割。独立して講義を行う資格はあるので、研究室の方針によっては講義を行うこともある。有期・無期の両パターンが存在する。
2. 講師
※常勤講師と非常勤講師という2つの種類がある。非常勤講師は基本的に1年毎の契約更新が必要で、更新回数は5回連続で更新されると自動的に無期雇用に切り替わるが、実際のところ無期雇用に切り替わるケースはあまりない。
3. 准教授(じゅんきょうじゅ)
4. 教授

大学や学部によって基準が異なりますが、基本的に「役職」を上げるためには、研究業績や教育歴を伸ばして、所属してる大学での昇進を狙ったり、他の研究機関の上位ポストに応募して合格することでステップアップしていきます。

教授のポストについては、今は外部から教授を採用するということは余程の研究成果を残した場合を除いてほとんどなく、その大学に勤務している準教授の中から相応しい方を教授に昇進させることが一般的のようです。

15. 今のお仕事に必要な能力~講師として、そして研究者として~

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匡哉さんに、「講師」・「研究者」として働くために必要だと思う能力について伺ってみました。

講師として必要な能力
・若い人とコミュニケーションを取る能力
授業に参加している学生は基本的に18~22歳くらいの若者。彼らとコミュニケーションが取れることは大学講師にとって必須。

・相手に分かり安く、そして面白いと思ってもえらるように教える能力
担当する講義にもよるが、例えばフランス語の授業の場合、発音や文法など、教えるべき内容というのはほぼ決まっている。その決まっている内容を、講師側でいかに分かりやすく、そして楽しく学べるようにアレンジできるかが大切。

大学側は常に講師が学生たちにとって質の高い授業をしているか気にかけているらしく、その良い例として、定期的に授業に関するアンケート調査が実施されているようです。

もはや学生を無視するような独りよがりの授業を行うことは、許されないのかもしれませんね。

研究者として必要な能力
・研究内容や成果を事実を曲げることなく、分かりやすく、興味を持ってもらえるように伝える能力
研究とは、細かいことを突き詰めていき、その結果として発見したことを発表することを通じて、社会に対して貢献をしていく作業。例えば、何か「あなた」にとって面白いことを発見したとしても、それを自分の中でだけで面白かったなと終わらせるのではなく、事実を曲げることなく、他の人たちもきちんと理解できるように、そして興味を持ってもらえるように伝えることが大切。

「論理的思考能力や探求心などが必要なのはもちろんだけど…」という前置きの後、匡哉さんが研究者に必要な能力として挙げてくれたのが上記の「研究内容及び成果を伝える能力」でした。

例えば、新型コロナウイルスのこと1つとっても、専門家の伝え方によって、聞き手の受け取り方や印象は大きく変わってしまいます。

匡哉さんはそのことを例に挙げて、「研究者は事実を誤解なく伝えないとアカンけど、でも聞き手に興味を持ってもらえへんと、社会の役に立っているとは言えんから、興味を持ってもらえるように伝えることもとっても大切やと思う」と仰っていました。

16. フランコフォンの皆さんにメッセージ~「周囲の身近に事に興味を持って欲しい」~

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フランスのとある街の風景をバックに微笑む匡哉さん

最後に匡哉さんに、フランコフォンの皆さんにメッセージをいただきました。

語学はコミュニケーションの手段
その手段を通じて何を使えるのか。それを使って、何を伝えたいのかということを持っていた方が良いです。ちなみに僕は、日本語でもフランス語でも、「自分の研究の面白さ」を相手に伝えたいです。それから大学の授業においては、学生さんたちに「言葉ってこんなにおもろいんやで」ってことも伝えたい。それはフランス語に限ったことじゃなくて、例えば「この間、こんなおもろいお店のレストランを見つけてさ!」とか「この表現、おもろくない!?」などの日常のちょっとしたことを通じて、日本語も含めた「言葉というもの」の面白さを伝えたいと思ってます』

周りに身近なことに興味を持ってみて下さい
『色々なことに興味を持つことによって、世の中は面白くなります。何も大きな事でなくともよいです。例えば、本当に些細な事。この間、道でこんな変なもの見つけたけど、あれはいったんなんやったんやろか?」ということでもいい。何かに興味を持つと、自然とそれをよく観察するようになるし、ネットを使って調べてみたりするようになる。そうすることで、自分の中で新しい発見があり、その発見が自分の人生を面白くする。こういう面白いものは、やっぱり今はやりのオンラインだけではちょっと見つけられない。時期的なものもあるけど、街に出た方が、面白いものが見つかると思います。それから、願わくばどんどん海外にも出て行って欲しいです。海外での、「なんやあれ?日本であんなもの見たことないよな?」って発見が、もしかしたらあなたの人生をより豊かにする大発見になるかもしれませんよ」

今回の記事は以上となります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

À très bientôt
Kei

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