
こんにちは!
フランスまとめサイト管理人の伊藤圭(@Kei_japonais)です。
東京にある神楽坂は通称「プチ・フランス」と呼ばれており、フランス人がたくさんいる場所として有名です。
確かに、飯田橋駅の方から神楽坂駅に向かって坂を登っていき、一本違う道に入ると、そこには素敵なフレンチカフェやフランス料理のレストランがあります。
僕が大学生の頃は、「店内もフランス人客で賑わっていただけでなく、神楽坂界隈で欧米系の方とすれ違うと、大体がフランス人であった」という記憶があります。
こんな感じで、多くのフランス人が集まる感じがする神楽坂ですが、果たして実態はどうなのでしょう。
本当にたくさんのフランス人がいる地域なのでしょうか?
今回は、その謎に迫ってみようと思います。
本題に入る前に、初めての人向けに自己紹介。
- 東京生まれ東京育ち、仕事の都合で現在関西在住の36才。
- 大学生の頃にパリへの交換留学を経験(約1年間)。
- インバウンド業界で8年以上、日々フランス語と英語を使って仕事をしている。
- DELF B2(フランス語)・ TOEIC 825(英語)
- アンサンブルアンフランセ公認インフルセンサー
- 「フランス語の仕事に就きたい」という人を応援するフランス語キャリアアドバイザー
1. 神楽坂ってどこ?

神楽坂は東京都新宿区牛込地域南西部に位置する、大久保通りの交差点から外堀通り交差点までの坂を指します。
神楽坂一丁目から六丁目まであり、江戸時代には、江戸城の外堀に設置されていた牛込門に通ずる交通の要衝だったとか。


江戸時代には大名や旗本の住む武家屋敷が集中した地域でした。
今でも、狭い路地はほぼ江戸時代のままであり、神楽坂界隈を散歩をすると江戸の雰囲気を感じ取ることができますよ!
2. 在留外国人統計から見えてくる日本のフランス人
歌川広重の絵画にも出てくるような伝統ある地域が、どうやって「フランス」と結びついていったのか…?
その背景を探る前に、まずは日本におけるフランス人について触れてみたいと思います。
実は日本には「出入国在留管理庁」という機関がありまして、ここが「在留外国人統計」なるものをきちんと取っています。

いやぁすごい!
こんな政府機関があるなんて知らなかったですよ!(笑)
というわけ、こちらのデータを元に、まずは日本全国のフランス人の人数を把握していきましょう。
2-1. 日本全国のフランス人
2020年12月4日付の「在留外国人統計」によると、日本全国のフランス人の人数は以下の通りでした。
日本全国の在留フランス人
12,264人

2021年の日本の総人口が約1億2,580万人だったので、フランス人が占める割合は
12,264人 ÷ 125,800,000人 = 0,0097 %
意外に少ないなぁという印象です。
2-2. 東京都のフランス人
さてさて、次は東京都のフランス人人口。
「在留外国人統計」の都道府県別統計を見ると、東京都のフランス人の人数は以下の通りでした。
東京都の在留フランス人
6,420人

これは、日本全国に住んでいるフランス人の内、約52.3%(半分以上)が東京都に住んでいるとういことになります。
2-3. 神楽坂のフランス人
では、いよいよ神楽坂に住んでいるフランス人の人口を見てみたいと思います。
ですが、ここにきてごめんなさい…。
これからご紹介する数値は、神楽坂を含む新宿区全体の数値となります。
なぜかというと、上記以上に細かいデータが取れなかったためです。
というわけで、神楽坂を含む新宿区に住むフランス人の数は以下となります。
神楽坂を含む新宿区の在留フランス人
604人
※出典:新宿区 住民基本台帳人口 外国人住民国籍別男女別人口

これは、東京都に住んでいるフランス人の内、約9.4%が新宿区に住んでいるということになります。
また、日本全国でも最もたくさんのフランス人が住んでいる地区でもあります。
3. 神楽坂が「プチ・フランス」になった理由
神楽坂界隈は、東京都及び日本全国も最もたくさんのフランス人が住んでいる地域であることが、統計を見て分かりましたね。
ただ、実際に「フランス人の人口」だけ見ると、この界隈がそんなにダントツで数が多いわけではありません。
ではなぜ、神楽坂は「プチ・フランス」と呼ばれ、多くのフレンチレストランやカフェで賑わい、またたくさんのフランス人が足を運ぶようになったのか。
この章では、いよいよ「神楽坂がプチ・フランスと呼ばれるようになった理由」についてみていきたいと思います。
3-1. 東京日仏学院の存在
まず最初の理由は、東京日仏学院(現アンスティチュ・フランセ東京)の存在です。
東京日仏学院は1952年1月16日に「フランス政府公認のフランス語学学校及びフランス文化の発信地」として、市ヶ谷にその産声を上げました。
この時、フランスから派遣された多くのフランス人講師や日仏学院運営スタッフたちが、学院から近く治安も良い神楽坂界隈に住み着き、そこでフランス人コミュニティを形成したと言われています。
その後、必要に応じて来日するフランス人たちが、「神楽坂という場所にフランス人がたくさん住んでいるらしい」という情報を頼りに、どんどんと神楽坂界隈に集まってきました。
それが、現在も多くのフランス人が神楽坂界隈に住んでいる由縁だとか。
3-2. 暁星学園国際部日仏科の存在
東京日仏学院に勤務するフランス人講師・スタッフたちによって、神楽坂にフランス人コミュニティが形成された後、ある問題が生じます。
フランス人の子どもたちの教育をどうするか?
日仏学院に勤務するフランス人たちの中には、当然家族帯同で来日している方々も多くいらっしゃいました。
ただ、彼らの子どもたちのほとんどは日本語が分かりません。
加えて、彼らの両親も、あまり良く日本語が分からなかったそうです。
というわけで、日本の学校に通わせることが中々に難しい状況にある彼らに、「フランス語による、フランス式の教育を受けさせる」べく、白羽の矢が立ったのが、学校法人暁星学園でした。
この暁星学園は、その成り立ちからフランスと密接な関係があり、立地条件も神楽坂から徒歩15分程度(千代田区富士見)という抜群の立地条件にありました。
そのため、1967年に国際部日仏科が設置。
1975年にはリセ・フランコ・ジャポネ・ド・東京(Lycée Franco-Japonais de Tokyo)となり、以後2012年に東京国際フランス学園(Lycée français international de Tokyo)となって、現在の北区滝野川に移転する。
設立からこの移転まで、一貫して神楽坂界隈、そして日本に住むフランス人の子どもたちの教育の受け皿となったそうです。
3-3. フランス人コミュニティが新たなフランス人を呼ぶ
東京日仏学園を契機に形成された神楽坂のフランス人コミュニティ。
このフランス人コミュニティは、外部から新たなフランス人を呼び、神楽坂を「プチ・フランス」と呼ばれる地区にしていきました。
神楽坂には、フランス人がたくさん住んでいるわけですから、当然彼らのために「領土料理を振舞おう」とするフレンチレストランが集まってきます。
フランス風のカフェやバーもできれば、ガレットのお店なんかもできます。
そんなこんなでたくさんの「フランス関係者」が神楽坂に集まるうちに、神楽坂は段々と「プチ・フランス」と呼ばれる地区へと変化していったと言われています。
なんかこうやってみていると、「たまたま偶然が重なって奇跡的に今の姿になった」ともいえるし、「なるべくして今の姿になった」とも言えますよね。
いずれにせよ、この神楽坂の「プチ・フランス」は、日本に住んでいるフランス人の方々に愛されているだけでなく、我々のような日本人フランコフォンにも愛されている、素晴らしい場所ということですね。
À très bientôt
Kei
追伸
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コメント
面白い記事ありがとうございました。
以前は1000人以上のフランス人が住んでいたようです。マンション計画などでリセ・フランセが板橋に引っ越しをせざるを得なかったのが残念です。
学校の関係で北区と板橋区にフランス人が増えているようですが、どれくらい増えているんでしょうか?
リセ子さん、こんにちは!
コメントを頂き、ありがとうございます!
一時期1,000人以上のフランス人の方々がお住まいだったんですね。
それはもう、「都内及び日本国内でダントツ一位の多さ」です!
北区と板橋区につき、実はブログを書いている時に調べてみたのですが、どちらも「区内のフランス人のみの人口」を発表しておらず、残念ながら分からなかったんです。
でも、東京フランス学園の移転に伴い、「きっとフランス人人口は増えているんだろうなぁ」って勝手に想像しています(^^)