フランス語人材のキャリアパス~第8回笹根由恵さん フランス語通訳・翻訳家・フランス語通訳案内士~

こんにちは!
フランスまとめサイト管理人の伊藤圭(@Kei_japonais)です。

フランス語を使って仕事をしている人たちにインタビューをして、フランス語の仕事に就くまでの経緯や、フランス語の勉強法などのエッセンスを聞いちゃおうというフランス語人材のキャリアパス!

今回はフランス語通訳・翻訳家、そしてフランス語通訳案内士としてご活躍していらっしゃる笹根由恵(ささねよしえ)さんへのインタビューとなります。

フランス語通訳・翻訳家・フランス語通訳案内士 笹根由恵さん

笹根さんといえば、ご自身にとって初めての翻訳本である『ゆたかな人生が始まる シンプルリスト』(著:ドミニック・ローホー、講談社)がいきなり11万部を越える大ベストセラーになったことで有名!

他にもバレーボールの国際大会のチーム付きリエゾンや通訳、リヨン市長やクリスチャン・ディオールCEOのVIP通訳を務めていらっしゃいます。

今回は、そんな多方面にわたって大活躍していらっしゃる笹根さんのフランス語の勉強方法やフリーランスに至るまでの経緯、そして、とりわけフリーランスの通訳・翻訳家として、これまでどのように実績を積み上げられていったのかについて、紹介させて頂きます。

笹根さんのプロフィール
1975年、神戸に生まれる。
企業勤務を経てフランスに留学後、オペラなどの歌劇からビジネス、各種スポーツの国際大会まで幅広い分野で通訳として従事。
同時に、書籍、ビジネス文書などの翻訳業も行う。フランス語、英語、イタリア語に通ずる。
国土交通省認定通訳案内士(フランス語・英語)。
※Amazon 「著者について」より抜粋

この記事を読むと分かること
1. 現在フランス語通訳・翻訳家及び通訳案内士として活躍されている方が学生時代どのようにフランス語の勉強に向かっていたのか分かる
2. フリーランスの通訳・翻訳家として実績を積み上げていくためのエッセンスが分かる(特に独立したての時の体験談は貴重です!)
3. 夢を叶えるためには行動力が必要であることが分かる

1. 笹根さんとフランス語との出会い

笹根さんは中学生の頃からフランス及びフランス語に憧れがあり、「大学生になったら絶対にフランス語を勉強して、フランス語の通訳・翻訳家になる!」と心に決めていました。

かねてからの想いを実現させるべく、フランスを第一外国語として専攻できる某国立大学に進学。
ここから、笹根さんのフランス語人生が始まります。

2. フランス語漬けの日々。睡眠時間は平均3~4時間程度

笹根さんの所属学科はフランスの文化研究を行う学科。
こちらでフランス文学・社会・文化など、フランスに関することを全般的に学ぶ傍ら、念願のフランス語学習に励む日々が続きます。

大学入学時に、フランス語の教授に「英語とフランス語がペラペラになりたいんです」と相談したところ、「それならフランス語学校にダブルスクールに行って下さい。ここにいるだけでは、ペラペラになることは出来ません」という返事が返ってきました。

「えっ?大学で一生懸命勉強するだけではダメなの?」と一瞬戸惑ったものの、割と素直だったという笹根さん。
教授のアドバイス通り、1年生の夏頃から、大阪にあったアリアンス・フランセーズに通い始めます。

アリアンス・フランセーズでは、最初は夏期集中講座に通い、その後は初学者用コース、中級者コース、上級、ビジネス、発音クラスなど、ご自身のフランス語のレベルに合わせて受講講座を変更していき、それを大学卒業まで続けられたそうです。
頻度としては、毎週2回程度通ったということでした。

フランス語専攻ということもあり、大学でもフランス語の授業が毎日あります。
その予習・復習・宿題をこなし、さらに毎週2回のアリアンス・フランセーズの授業・予習・復習をこなすだけでも精一杯なのに、加えて笹根さんはこのアリアンス・フランセーズの講座費用と後述の短期フランス留学費用を稼ぐべく、塾の事務やフレンチレストランでのウェイトレスなど、様々なアルバイトもされていたそうです。

しかも、大学は自宅から片道で2時間程度かかったため、往復4時間。

笹根さん
笹根さん

『今思えば自分でも「すごい」と思うのですが、毎日夜中の3時くらいまで勉強していたので、日々の平均睡眠時間は3~4時間くらいだったと思います』

笹根さんが如何に真剣にフランス語と向き合っていたかが伝わってきますよね。

3. フランスへの短期留学を繰り返す

毎日フランス語に打ち込みながら、アルバイトもこなしていた笹根さんは、在学中に1回の疑似フランス留学と3回の短期留学を経験されていらっしゃいます。

・疑似フランス留学
2年生の夏に、神戸松蔭女子学院大学で開催されていた「朝から夕方まで、そこにいる間はフランス語しか話してはいけない」という疑似フランス留学が出来る夏季集中講座参加。
今まで大学やアリアンス・フランセーズで「文法的に正しいフランス語」しか学んでこなかったが、ここで始めて「口語体で発生する省略」など、生きたフランス語に触れる
※例:Je n’ai pas compris → J’ai pas compris など。

・アンジェ(Angers)留学
3年生の夏にアンジェ(パリからTVGで1時間半ほど南西に向かったロワール地域に位置する町)の西フランス・カトリック大学(Université catholique de l’Ouest)主催の夏期集中プログラムに1ヶ月間参加。
この時点で、これまでの勉強により日常生活では困らないレベルのフランス語能力が身についていた。

・ルーアン(Rouen)留学
4年生に上がる前の春休みと卒業前の最後の春休みの2回、ルーアン(パリの北西に位置する、ノルマンディー地域圏の首都)にあるアリアンス・フランセーズに3週間ずつ参加。

大学の教授にオススメの街を聞いて、上記の街に留学することに決められたそうです。

ちなみに、アンジェに決めた理由は「ロワール地域のフランス語が最も美しいフランス語である」と言われているため。
ルーアンのアリアンス・フランセーズにされた理由は「ロワール地域の大学に集中講座が設定されていない春休みという時期であり、アリアンス・フランセーズなら柔軟にこちらの都合に合わせて通うことが出来たから」ということでした。

留学手続きは留学エージェントなどを通さず、全てエアメールを通じてご自身で。
学校に関しては「当時、地球の歩き方の留学版があったので、そちらを参考にしました」と伺いました。

4. 就職からフリーランスまで~フランス語を仕事でも使いたくてもがいた時期~

ワールドカップ男子バレーボールフランス代表チームに通訳として同行した際に撮影した選手達との写真

4-1. 最初の就職~株式会社大月真珠~

仕事でフランス語が使いたかった笹根さんは、フランス語が使えそうなところを中心に採用面接を受けていらっしゃったそうです。
そして、笹根さんが卒業後に最初にご就職されたのが、1975年以来真珠の輸出額業界1位の株式会社大月真珠でした。

大月真珠に入社を決められた理由は以下の4点。

入社の決め手
1. 神戸の地場産業だった(地元に貢献できる)
2. 真珠が好きだった(ファッションに関心があった)
3. 社員の方々がとっても素敵で、「この人達と一緒に働きたい!」と思った
4. 輸出部門があったので、フランス語を使えるチャンスがあると思った

笹根さんが入社された当時は、まだ「女性=一般職」が常とされており、女性が所謂「総合職」として海外営業部に配属される可能性は非常に低かったそうです。

であれば、「素晴らしい人々」と共に仕事をしながら、「ちょっとはフランスに関わることが出来たら」と、笹根さんは考えていました。

残念ながら、配属された部署は海外営業とも輸出とも関係のない部署でした。
それでも、ご縁があって次の仕事に転職されるまでの約1年の間に、2回ほど大月真珠でフランス語を使う機会があったそうです。

1回目は、たまたまフランス人のお客様が、ふらっと大月真珠の本社に真珠を買いに来たときに、「笹根さん、フランス語出来るんだよね?」と他の社員に声をかけられ、その方に対してフランス語で商品をご案内されたこと。

2回目は、黒蝶真珠(別名タヒチ真珠)をタヒチから輸入する際に、タヒチ政府との文書を翻訳したこと。

この2回が唯一フランス語を使って仕事が出来た経験でした。

4-2. 転職にて東京へ~秘書としてキャリアを歩む~

「フランス語を使える機会が思ったほど無いなぁ~・・・」と思っていた社会人2年目の春、東京に住んでいた、高校時代から仲の良かった先輩から笹根さんに連絡がありました。

先輩
先輩

「私の知り合いの知り合いがフランス人社長なんだけど、そのフランス人社長(小さい企業)が秘書兼通訳兼翻訳を探しているらしいの。由恵ちゃん、興味ある?」

笹根さんとしては、「もちろん興味はあるし、そんな仕事を前から望んでいたけれど、留学以外で家から出たことがなく、いきなり東京なんて行って一人暮らし出来るかなぁ」という不安もあったそうです。

しかしながら、その先輩が「家が見つかるまで、うちにいてもらって構わないよ」と言ってくれたことが背中を押してくれ、面接に行き、見事採用。

大月真珠を辞め、その社長のもとで秘書の仕事をすることとなります。
※実は、笹根さんは秘書検定1級をお持ちです。

念願の「フランス語の仕事」に就いたのもつかの間、会社の事情が変わり、1ヶ月もしないうちに「もう秘書は必要ない」ということになり、笹根さんは一方的に退職をさせられてしまいました。

「これからどうしよう・・・」と悩む笹根さん。

「でも、今神戸に戻ったら、一生フランス語の仕事はしないままになってしまう。東京なら、きっと神戸よりもフランス語の仕事のチャンスがあるんじゃないか」と思い、東京に残り、フランス語の仕事を探し続ける決意をされます。

笹根さん
笹根さん

「現実はそれほど甘くなく、中々仕事は見つかりませんでした。でも、幸いにも貯金があったんです。だから、焦らずに気長に探すことができました」

しばらくして、最初とは別のフランス人社長のもとで、同様に通訳兼秘書兼翻訳をすることとなります。
仕事内容としては、通訳と翻訳がメイン。
具体的には、ニューカレドニアから商品を輸入・販売していたため、ニューカレドニアからの文書の翻訳や、商品を扱ってくれそうな日本企業の担当者とフランス人社長の商談の通訳等をされていました。

この仕事は、後々笹根さんが通訳・翻訳のフリーランスになられた時に、とても役立つこととなります。人生、どんなところでどんなご縁があるか本当に分からないものですね。

こちらの仕事はある程度の期間続きましたが、フルタイムではなく、今日は9時~17時、明日は13時~18時と、社長の都合に合わせて勤務時間も場所も変わるような仕事。
この仕事だけで食べていくことは出来なかったので、こことは別の英会話スクールのセールスをしている企業で社長・マネージャーの秘書のお仕事もされていたそうです。

4-3. 転職エージェントを通じて外資系企業に転職~ノキアジャパンでの秘書業務~

フランス人社長及び英会話スクールセールス企業での秘書業務を数年続けましたが、あまり仕事の条件は良くありませんでした。

笹根さん
笹根さん

「仕事をしながら、常にフランス語の仕事を探していたんですけど、これという物が見つからなかったんです。なので、転職エージェントを使ってみよう!と思って利用したら、フィンランドの会社であるノキアジャパンに就職できました。ここには、運良くフランス人の同僚がいたんです」

ノキアジャパンではベンチャー部門の秘書として採用されます。

同社は日本にある外資系企業ということもあり、社内言語は基本的には日本語と英語。

本来であればフランス語のキャリアとしては異なるのですが、たまたま同じ部署の中にフランス人社員がいました。
※笹根さんは、中学生の頃は英語のテキストを全て暗記しているほど英語も堪能で、英語での通訳案内士の資格もお持ちです。

日本人部長の秘書として勤務していた笹根さんは、同僚のフランス人社員とのやり取りは勿論のこと、海外のお客様や関連企業とのとのやり取りも、フランス語圏の方々とは基本的にフランス語でやり取りをすることで、フランス語を使う機会を増やしていきました。

このまま順調にフランス語を使って仕事が出来ると思われましたが、突然その日々は終わりを迎えることとなります。

笹根さん
笹根さん

『ある日、フィンランドから上層部の方がやってきて、「今日でこの部署はクローズします」と言われたんです』

5. フリーランスとしてデビュー~フランス語だけの仕事がないなら、自分で作ってしまおう~

突然所属部署のクローズを言い渡された笹根さん。
別の部署に移るか、あるいは他社に再び転職をするかという選択を迫られます。

笹根さん
笹根さん

「結局ここにこのまま残っても、英語の仕事がメイン。今、無理して他の部門に移ってまでして会社に残っても、私のやりたいフランス語の仕事は出来ないと思いました」

最終的に笹根さんは退職を選択されます。
他社への転職も色々と試みましたが、やはり「フランス語だけをメインに使う」という仕事には巡り会えませんでした。

笹根さん
笹根さん

「もう、転職活動もやめよう!フリーランスになろう!」

こうして、笹根さんはフリーランスのフランス語通訳兼翻訳家になることを決意しました。
2001年の夏でした。

6. ご縁を大切に~フリーランスの通訳兼翻訳家として実績を積み上げる~

現在はフランス語書籍の翻訳や実務翻訳(契約書や企業ホームページ、商品PRパンフレットなど、企業の実務に関わるの翻訳のこと)、会議通訳、商談通訳、イベント通訳、そしてフランス語通訳案内士として活躍していらっしゃる笹根さん。

中でも2011年1月に翻訳出版をされたドミニック・ローホーさんの書籍、『ゆたかな人生が始まる シンプルリスト』(講談社)がベストセラーとなり、王様のブランチなどのTVでも紹介されたことは、業界内ではとても有名です。

ですが、今大活躍をされていらっしゃる笹根さんも、最初から今のように順風満帆であったわけではありません。
当然、フリーランスの通訳兼翻訳家として、下積みの時代もありました。

6-1. 翻訳家として下積み~相手の信頼を傷つけない~

フリーランスの翻訳家としてデビューされて以来、笹根さんは一度も株式会社コングレ・グローバルコミュニケーションズ株式会社サイマル・インターナショナルなどの翻訳エージェントに登録をされたことはありませんでした。

また、特段営業も行われなかったそうです。

では、どうやって仕事を獲得していったのでしょうか?

その答えとなるのが、笹根さんが大切にされていらっしゃる「ご縁を大切に、相手の信頼を絶対傷つけない」という信念及び仕事のスタイルでした。

通訳・翻訳家としてデビューをされたとき、周囲にそのことを伝えた笹根さん。
「それなら、ちょっと頼みたい仕事があるんだけど」と、お知り合いの中から、笹根さんに早速仕事を依頼してきてくれた方がいらっしゃいました。

笹根さんは、その仕事をとても丁寧に行い、結果的に相手の方の期待値を上回るクオリティで満足していただけたようです。

そのことに感動をした初クライアントは、「次回もまたお願いします。それから、知り合いにもご紹介をしておきますね」と、リピートの約束だけでなく、お知り合いにも笹根さんという翻訳家のことを紹介して下さいました。

そして、早速その方のお知り合いから笹根さんに仕事が入ります。

その時に笹根さんが最も気をつけたことが、笹根さんのことを信頼してお知り合いに紹介をして下さった初めてのお客様のことでした。

笹根さん
笹根さん

「今回依頼をして下さったお客様は、最初にお仕事を下さったあの方を信頼して、私に仕事を依頼して下さった。あの方の信頼に傷がつくような仕事はできない。寧ろ、あの方の株が上がるような仕事をしなければ!」

上記の考えのもと、笹根さんは再びお客様の期待値を超えるクオリティで仕事をすることを心がけました。

納品を終え、その仕事ぶりに満足をして下さったお客様は、「また是非ともお願い致します。私の知り合いにもご紹介をさせて頂きますね」と、最初のお客様と同様にリピートしたり笹根さんをお知り合いにご紹介下さったりしました。

笹根さんは、このようにご縁を大切にし、お客様をご紹介下さった方の信頼を傷つけないことを念頭において、一つ一つ丁寧にお仕事をされました。

そのことが、結果的に笹根さんの信頼も高めることに繋がり、徐々にではありますが、お客様を増やして行くことに繋がったそうです。

笹根さん
笹根さん

『「○○さんから伺ったのですが」というご連絡と共に、お仕事を頂くことが増えていきました』

6-2. スポーツナショナルチーム付き通訳~今年で18年間の付き合いに~

バレーボールワールドリーグ監督記者会見にて通訳される笹根さん

少しずつですが、確実に翻訳の仕事を増やして行った笹根さん。
よりフランス語をブラッシュアップされるために、2002年の夏から2003年の夏まで、リヨンに留学されることを決意されます。

リヨンに行く直前となる2002年の春、笹根さんは日韓FIFAワールドカップ(サッカー)にてチュニジアチームの通訳をする機会に恵まれました。

笹根さん
笹根さん

『パリでピアニストをしている大学時代からの友人が、奈良日仏協会とつながっていて、たまたまその友人から「奈良日仏協会がチュニジアチーム(チュニジアチームは奈良県で事前キャンプをする予定でした)の通訳を探しているみたいなんだけど、良かったら連絡をしてみたら」と言われたんです』

紹介して頂いた方に連絡を取り、早速電話面接をすることに。
そして、見事電話での通訳テストにパス。
チームに張り付いて行動をする必要があるため、しばらく奈良県に滞在することとなりました。

笹根さん
笹根さん

『何人か私のようにチームに張り付いてお世話をするフランス語通訳の方々がいらっしゃったのですが、その中で一人だけ、チームの記者会見で通訳をされるベテラン通訳さん(藤江さん)がいらっしゃいました。お仕事のクオリティは言うまでもなく、お人柄もお仕事への姿勢もとても素晴らしい方でした。私のような駆け出しのフリーランス通訳者がこのような素晴らしい通訳さんに会えることはめったにないことなので、勇気を出して「藤江さんのような素晴らしい通訳になりたいです!」と声をかけさせていただいたところ、ありがたいことに色々と親しくしていただきました。その方には、今でも大変良くしていただいています』

ご縁を大切にされる、笹根さんらしいですね。

初めての長期間の通訳業務を終え、笹根さんはリヨン留学。
帰国した年である2003年には、日本でバレーボールワールドカップが開催されました。

その時、偶然にも日韓FIFAワールドカップの時にお世話になった奈良日仏協会の方がバレーボールワールドカップにも携わっており、再び笹根さんに通訳の依頼が飛び込んできます。

ミックスゾーンでの選手インタビューにて通訳を行う笹根さん

このバレーボールの仕事も、サッカー同様きっちりと仕事をされた笹根さん。
これをきっかけに、2003年~21年まで18年間、ずっとバレーボールの世界選手権・ワールドカップ・オリンピック最終予選・ワールドリーグなどのフランス語圏のチーム付きのリエゾン兼通訳を担当されていらっしゃいます。

笹根さん
笹根さん

「スポンサーさんとご縁がつながると、その競技は勿論、別の競技や関連事業で、お声がけいただけることもありました」

7. 11万冊を超えるベストセラーの出版~行動が新たなご縁を生む~

書店で平積みされる『ゆたかな人生が始まる シンプルリスト』

翻訳業においても通訳業においても、頂いた仕事を常に高いクオリティで着実に実行してきた笹根さん。

順調に仕事が増えていた笹根さんですが、その笹根さんを一躍有名にしたのが、この記事でも何度も触れているベストセラー著作、『ゆたかな人生が始まる シンプルリスト』(ドミニック・ローホー著、講談社)の出版です。

こちらの書籍の出版に至るまでの経緯は、下記のインタビュー記事が非常に詳しいので、是非ともこちらの記事をご覧いただきたいです。
※翻訳業に関する仕事のエッセンスも詰まっているので、翻訳家を目指される方は必読だと思います。

第36回 出版翻訳家インタビュー~笹根由恵さん 前編 - ハイキャリア
今回の連載では、出版翻訳家の笹根由恵さんからお話を伺います。笹根さんは日本にシンプルライフブームを巻き起こした『ゆたかな人生が始まるシンプルリスト』『シンプルに暮らす』の翻訳のほか、リヨン市長やクリスチャン・ディオールC …
第37回 出版翻訳家インタビュー~笹根由恵さん 後編 - ハイキャリア
第36回に引き続き、出版翻訳家の笹根由恵さんからお話を伺います。 寺田:夢を叶えるために人を押しのけて前に出る人間である必要はないですし、由恵さんはむしろすごく遠慮深くて、「私なんて」と一歩も二歩も引いてしまうタイプです …

出版までの経緯をすごくかいつまんでご紹介すると、以下の通りになります。

出版までの経緯
リヨンの本屋さんで偶然ドニミックさんの著作に出会った笹根さんは、ご本人に会って翻訳の許可をいただくために奮闘。
行動と努力が実を結び、ご本人と面会し、無事に翻訳の承諾を得られます。

次の笹根さんのミッションは、翻訳した書籍を出版してくれる出版社を探すこと。
本来であれば、出版社が決まってから書籍の翻訳に取り掛かるのが一般的ですが、笹根さんは違いました。

「とにかくこの素晴らしい書籍をみんなに知ってもらいたい」という想いから、出版社を見つける前にまず翻訳に取り掛かり、同時に出版社を説得するための企画書も作成され、ゼロベースで様々な出版社に対してドミニックさんの書籍の翻訳出版を持ちかけます。

最終的には、ご縁がご縁を結び、講談社がこの企画に賛同。
初めての出版が講談社という超大手なのは異例中の異例であり、さらに最初の翻訳書籍が11万部を超えるベストセラーになるという快挙も成し遂げることとなりました。

笹根さんが行動をし続けたことによって、奇跡ともいえるご縁が次々と生まれていきました。

8. ベストセラー出版翻訳家として~著者となったことが更なるご縁を生む~

ドミニックさんの著作を翻訳して出版したことにより著者となった笹根さん。
しかも、それがベストセラーとなったことにより、笹根さんはさらなるご縁を紡いでいくこととなります。

8-1. 美崎栄一郎さんとの出会い~著者の方々とのご縁が広がる~

ドミニックさんの翻訳書が出版された約2か月後、商品開発コンサルタント、ビジネス書作家、講演家として有名な、美崎栄一郎さんと知り合う機会に恵まれます。

プロフィール
美崎栄一郎(みさき・えいいちろう) 商品開発コンサルタント、ビジネス書作家、講演家 1971年、横浜で生まれ大阪で育つ。大阪府立大学大学院工学研究科を卒業後、花王株式会社で約15年勤務ののち、現在は、独立し、商品開発コンサルタント、ビジネス
笹根さん
笹根さん

『たまたま美崎さんの出版イベントがあり、前から美崎さんの本を読んでいたので、イベントに参加者として出席しました。会場で美崎さんと名刺交換をさせていただいた時に、私の翻訳した本も一緒にお渡ししたら、「じゃあ代わりにこれをどうぞ」と、美崎さんもご自身の著作を私に下さったんです。以後、美崎さんにもとても良くしていただいています』

8-2. 堤信子さんとの出会い~翻訳・通訳のご縁がさらに広がる~

堤信子さんとのパリサロンにてイベントを進行される笹根さん

笹根さんは美崎さんを介してフリーアナウンサーの堤信子さんと知り合うこととなり、この出会いが笹根さんの翻訳・通訳の仕事のご縁をさらに拡大することとなります。

笹根さん
笹根さん

『美崎栄一郎さんが毎回お知り合いの著者を呼んで主催されていた朝食会があり、私にお声がけくださいました。「次のイベントの登壇者はフリーアナウンサーの堤信子さんなんだけど、絶対笹根さんと気が合うと思うから、良かったら来る?」とお声かけ下さり、私の次の回に、堤さんとのご縁をつないでくださいました』

美崎さんの言う通り、堤さんと意気投合した笹根さん。


しばらくして堤さんに『「パリサロン」という、パリ好きが集まるイベントを定期的にやりたい』という話を持ち掛けられ、サロン立ち上げからコアメンバーとして携わることとなります。

笹根さん
笹根さん

『「パリサロン」は、東京やパリで定期的に開催していました(現在はコロナ禍でお休み中)。堤さんはご人徳が素晴らしく、イベントをされると、大使館関係者、日仏友好協会やパリクラブ(日仏経済交流会)の重鎮、フランス関連のビジネスをされている方も多く参加されます』

笹根さんは、この「パリサロン」で、「ミニフランス語レッスン」や本の紹介をされたりしています。

BNPパリバで開催されたパリサロンでのスタッフ&関係者写真(右から2番目の女性が笹根さん)

このサロンで知り合った時にすぐに仕事には結びつくことはあまりないものの、後日翻訳や通訳が必要になった時に連絡が来たり、その知り合った方の紹介で連絡が来たりするそうです。

笹根さん
笹根さん

『「堤さんが信頼しているなら安心」という効果があるのでしょう。堤さんのおかげで、ご縁がどんどん広がっていきます。例えば、プラチナ万年筆の社長さんから、『フランスの万年筆専門紙に記事を掲載することになったから、仏訳して欲しい」という依頼をいただいたことがありますし、大使館関係者の方に、大使館でのイベントに通訳として呼んで頂いたこともあります。』

あくまで控えめに、堤さんを立てる笹根さん。

勿論、堤さんのおかげという点もあるでしょうが、僕は「堤さんに信用されるのも笹根さんのお人柄があってこそだし、そうした信頼によって得たお仕事を、相手の期待値以上のクオリティで実行してきた笹根さんご自身の力によるところもかなり大きい」と確信しています。

9.フランコフォンの皆さんへのメッセージ

最後に、笹根さんからフランコフォンの皆さんにメッセージをいただきました。

今はインターネットのおかげで、クリック一つでフランスのニュースが見ることができて、フランス語を聞くことができて、リアルにコミュニケーションも取れる時代です。
これらは、私がフランス語学習を始めたときにはなかったこと。
是非とも、最大限に活用していただきたいと思います。

私は、自分なりに頑張って勉強してきたけど、今でもまだ自分のフランス語に自信がありません。
でも、ご縁に恵まれ、力以上のものに一生懸命取り組んだことで、ゆっくりですが着実に力をつけることができました。

この私でさえここまで辿り着けたんですから、皆さんがコツコツ頑張れば、きっと私なんてすぐに超えられるはずです。

頑張ってください!
応援しております!

リヨン市代表使節団にフランス語通訳案内士として同行した際に撮影した市長との一枚(撮影者はなんと管理人!)

今回の記事は以上となります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

À très bientôt
Kei

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