フランス語人材のキャリアパス~第5回 村田龍介さん~(前編)

フランス語を使って仕事をしている方へのインタビュー企画!
5回目の今回は、神奈川県にお住まいの村田龍介(むらたりゅうすけ)さんです。村田さんはフランス語が求められる業務全般を請け負うフリーランスとしてご活躍されています。

村田さんとも、仕事を通じて知り合いました。
現在勤務しているインバウンド専門の旅行会社に、僕がまだ転職してきたばかりの頃、フランス語通訳案内士として、僕が担当していたフランス人団体のガイドを務めて下さったのが村田さんだったのです。

思えばもう7年くらいの付き合いになりました。長いようで短い、短いようで長い7年だったと思います。

1. 村田さんの経歴

村田さんは、2007年に京都産業大学外国語学部フランス語学科(現、外国語学部ヨーロッパ言語学科フランス語専攻)をご卒業。元々はスポーツジャーナリズムに関心をお持ちでしたが、「フランス語は国連の第二公用語であるだけでなく、スポーツの祭典であるオリンピックや世界の30カ国くらいでも通じるらしい。きっと英語の他にフランス語が出来たら、スポーツジャーナリズムの世界において自分の活躍の場が広がるな」と考え、フランス語学科に進学されることを決意されました。

大学入学後はフランス語の面白さに目覚め、すっかりはまってしまった村田さん。あまりの面白さから、夏休みなどの長期休みの時も、大学の図書館で自主的に仏検対策をしたり、フランス語の単語を覚えたりしていたそうです。

大学卒業後は、「フランス語を使う仕事に就きたい」という想いを胸に、フランスとイタリアの食料品を取り扱う専門商社に就職。営業担当として入社し、「フランスとの折衝」を期待された村田さんですが、実際はフランス語を使う機会はなく、日本国内のレストランをまわる国内営業に従事。「最初はこういうものかな」とも思ってはいたのですが、長く勤務している男性社員でさえ国内レストランを相手とした営業に従事しており、フランスとやり取りをしているコーディネーターの仕事は女性でないと担当ができないという雰囲気が社内にありました。そして、「このままここで働き続けても、男性の自分がフランス語を使うポジションを得ることは難しいな」と思われた村田さんは、3ヶ月で退職を決意します。

紆余曲折を経て、2008年からフリーランスとして独立された村田さん。百貨店でのフランス人バター職人の通訳、旅行番組や原発関連映画の撮影コーディネート、フランスにおける和雑貨の営業、仏領ポリネシア(タヒチ)の祭典に関する書籍翻訳など、フランス語に関する様々なお仕事を受注されます。

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フランス人プレゼンターの通訳をされる村田さん(写真右の男性)

2011年2月にはフランス語通訳案内士資格も取得され、活躍の場を更に拡大。資格取得直後に東北・関東大震災が発生したため苦労もあったものの、2013年のインバウンド需要回復後は人気フランス語ガイドとして年中多忙な日々を送られ、今に至ります。

2. フリーランスまでの道のり~行動、行動、また行動~

上記で見てきたとおり、フランス語が求められる業務全般を請け負うフリーランスとしてご活躍される村田さん。ある時は通訳、またある時は撮影コーディネーター、セールスパーソン、翻訳家、通訳案内士(ガイド)と、活躍のフィールドは多岐にわたります。

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フランス人フォトグラファーの撮影コーディネイターとして白鵬の取材をした時のワンショット

村田さんは我が社において、「とても優秀なフランス語ガイドさん」として有名なのですが、まさかフランス語通訳案内士のお仕事が、村田さんが活躍されているフィールドの一部でしかなかったというのは本当に驚きです。

上記で記載したとおり、村田さんは2008年からフリーランスとして生きていくことを決意されますが、その道は決して平坦ではありませんでした。

2007年に食料品の専門商社を退職した後、エスパス・ラング東京という語学学校に短期で勤務。ここでは、日本語を学びに来たフランス人の生徒達を対象にした小旅行(エクスカーション)の引率を3ヶ月間ほどご担当されます。学生の時の通訳のアルバイトを除いて、初めてフランス語を使って仕事をされた村田さん。この時、「フランス語を使って仕事をすることは、こんなに楽しいのか!」と心の底から思われたそうです。

エスパス・ラング東京での勤務の次は、インターンシップをするためフランスに向かわれます。村田さんは当時流行っていたmixi(ミクシィ)というSNSのとあるグループで、日本とフランスの友好の架け橋となるべく活躍されている、ある在仏日本人実業家の男性の投稿を見つけます。その方はリヨンで、フランスに進出したい日系企業の支援や、フランスで開催される展示会に出展する日系企業のサポートをされていたそうです。「考える前に、とにかく行動することを大切にしている」という村田さん。すぐさまその方にmixi上でメッセージを送り、フランスへの想いを綴ったところ、なんとその方が丁度翌週日本に出張でいらっしゃるということで、その方とお会いすることになりました。そして、特に予定をしていなかったにもかかわらず、村田さんの熱意を買って、インターンとして受け入れて下さることになったのです。

本当に一生懸命働いた村田さん。その働きぶりが認められて、翌年の2008年~2012年まで、毎年その方から仕事を頂くことが出来ました。この仕事は、フランスへの販路拡大を考える日系企業の商品をフランス人バイヤーに紹介し、その日系企業が出展する展示会に招待することを通じて、企業とバイヤーをマッチングさせるというものでした。村田さんは毎年冬に2ヶ月間ほどフランスに滞在し、電話と足を使って仕事に専念されたそうです。大学を卒業してから僅か2年にも関わらず、フランス語を通じた自分の仕事が認められ、報酬だけでなく飛行機代や2ヶ月の滞在費まで負担してもらえたことで、喜びもひとしおだったそうです。

インターンを終えてフランスから帰国した後も、フランス語を使うことが出来る短期の仕事に就くことで、村田さんは人脈と経験を広げていきました。リピーターや新しい人脈を獲得することで順調に仕事量を増やしていき、今のように様々なフィールドで活躍されるようになったのです。

前編は以上です。
後編では、村田さんのフランス語の勉強方法とフランコフォンの皆さんへのメッセージをご紹介致します。

楽しみにしていて下さいね!

À très bientôt
Kei

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